三千院のご案内 guide 文化財

建築物、彫刻、絵画など、
三千院の様々な文化財をご紹介します。

彫刻

三千院の伝わる彫刻をご案内します

絵画

人物像を始め、多くの絵画が伝えられています

客殿襖絵
近代画壇と三千院
客殿襖絵は、明治三十九年(1906)に、京都画檀の画家たちによって奉納されました。当時、若い世代であった竹内栖鳳、菊池芳文と、重鎮であった望月玉泉、今尾景年、鈴木松年といった新旧の画家たちが腕を競い合い制作されたものです。 明治三十九年の時点で、玉泉七十三歳、景年六十一歳、松年五十八歳。 京都画壇の大家たちを向こうにまわし、幸野楳嶺門下の四天王と呼ばれた二人、菊池芳文は四十四歳、栖鳳は四十二歳。若い世代と長老たちの画風の相違が興味深いものとなっています。

絵画を全て見る


  • 蓮池遊亀図(れんちゆうきず) 今尾景年筆
    十面 明治三十九年(1906)
    紙本墨画淡彩 六面各172.0×89.0 四面各172.0×65.0
    景年(1845-1924)は京都の友禅染を扱う家に生まれました。十四歳で鈴木百年に師事し、門下生のうち鈴木松年、久保田米僊と並び称せられました。
    景年は国内外で様々な博覧会、各万国博で受賞を重ね、当時最も活躍した画家の一人といえます。
    この作品が制作された二年前には帝室技芸員となり、京都画壇の長老として確固たる地位にありました。
    極彩色、精密に描く花鳥画で知られた得意の画風は全く影を潜め、この作品には枯淡の画境に達しています。

  • 恵心僧都像(えしんそうず)
    一幅 江戸時代
    紙本着色 88.2×42.5
    恵心僧都源信(942-1017)は大和国当麻郷の人。 九歳で比叡山に登り、良源に師事し、顕密二教を究め、学匠(がくしょう)として高名でしたが、世俗の名利を捨て、横川に隠棲しました。
    永観二年(984)から翌年にかけ『往生要集』を執筆し、天台浄土教を大成。のちの浄土信仰に大きな影響を与えました。
    恵心僧都の肖像画は、宋に贈られ、かの地に建てられた廟に安置されたと伝わります。本像もそれと同系の一幅です。

  • 安養尼像(あんようにぞう) 
    一幅 江戸時代
    紙本着色 88.7×43.7
    願西尼(がんせいに)ともいい、『往生要集』の著者、恵心僧都源信の姉とも妹とも伝わります。大和国当麻郷の安養寺に暮らしました。
    本像は、恵心僧都像とともに三千院に伝えられた一幅で、ふくよかな初老の尼が合掌する姿に描かれます。

  • 重要文化財 宮中御懺法講絵巻(きゅうちゅうおせんぼうこうえまき) 
    一巻 江戸時代
    紙本着色 37.9×561.0
    江戸時代の宮中御懺法講の様子を描いた絵巻物。
    懺悔は平安時代には比叡山の仏事に取り入れられ、貴族にも浸透しました。
    保元元年(1156)に内裏で懺法が修されて以来、宮中でも営まれるようになり、三千院門主が導師を勤める定めとなりました。

  • 阿弥陀二十五菩薩来迎図(あみだにじゅうごぼさつらいごうず)
    一幅 鎌倉時代
    絹本着色 134.7×87.4
    皆金色に載金模様の衣をまとい、来迎印を結ぶ阿弥陀如来を中心に、同じく皆金色に載金模様の衣をまとう二十五菩薩と、
    彩色の地蔵、龍樹の僧形の二菩薩が来迎する様が描かれています。

TOP