三千院境内図

石仏

あじさい苑内、律川のほとりに安置された鎌倉時代中期の石仏で、俗に「大原の石仏」といわれ、京都近郊でも大きさや、よく整った形が注目されています。高さは2.25メートルの単弁の蓮華座上に結跏跌座(けっかふざ)する、定印阿弥陀如来で、おそらく「欣求浄土」(ごんぐじょうど)を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたもので、往時の浄土信仰を物語る貴重な遺物です。
売炭翁とは炭の生産販売に従事する人々のことをいい、このあたり一帯は小野山の中腹に位置し、昔は炭を焼く炭竈があった所から売炭翁旧跡と伝えられています。
炭竈のたなびく煙ひとすじに 心細さは大原の里 (寂然法師)

紫陽花苑

往生極楽院を過ぎて、金色不動に向かう参道脇に数千株の紫陽花が植えられています。大原は山霧がよく発生します。その霧の中に可憐な花を咲かす三千院の紫陽花は、霧に霞み、霧に溶け、霧の中で眠っているようです。細身の杉の木々の根元を優しく包み込んでいます。山里の境内に荘厳さを頌えた三千院の紫陽花は、静かな祈りの世界を醸し出しています。

有清園

宸殿前に広がる雄大な庭園です。青苔にスギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものをして心の安らぎを与えてくれる庭です。
そして、御堂の東側にはまんまんと水をたたえた池泉があります。山畔を利用して三段式となった滝組を配して、上部から水が池泉へと流れ落ちています。この滝を「細波の滝」と呼んでいます。紅葉が見事です。
天をついて並ぶ杉木立。その間に枝葉を広げる樹木は季節と共にその色を変え、一面に生えつづく緑の杉苔は永遠の時を刻み込んでいるかのようです。
宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は、その名の通り清らかな自然に抱かれています。園内の所々には、地蔵様が訪れる人々をあたたかく見守られ、(地蔵菩薩は迷いの世界で人々を救うと伝えられ、とくにその慈悲深さより子供たちの守護尊として広く信仰を集めている。)また、春には石楠花の淡い色が園内一面を染め、生命の尊さを無言で語りかけましょう。

宸殿

宸殿は三千院の最も重要な法要である御懴法講の道場として、大正15年に建てられたもので、宸殿では毎年5月30日、門主が導師を勤め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が厳かに行われます。
雅楽と声明がとけあった御懴法講は、後白河法皇の御代からはじめられた宮中伝統の法要で、江戸末期までは宮中で行われていましたので、「宮中御懴法講」と呼ばれていました。
天下泰平、萬民豊楽の祈願も併せて行われますので一般の参詣者も自由に献香していただけるようになっております。
白木造りの美しい本殿の正面には、伝教大師作の薬師瑠璃光如来が安置されており、秘仏として非公開となっています。
向かって右には歴代天皇の尊牌を、左には歴代法親王の尊牌が厳かにお祀りしてあります。

御殿門

高い石垣に囲まれた大きな御殿門は、門跡寺院にふさわしい風格をそなえ、又、政所としての城廓、城門を思わせる構えで、2003年秋、修復完成しました。

金色不動堂

三千院の祈願道場として、平成元年四月建立されました。
本尊は、智証大師御作と伝えられる金色不動明王で、秘仏となっています。
護摩の火は、煩悩を焼き尽くし、魔を降伏させる炎であるといわれています。紫陽花園の静寂な一画に、堂々たる偉容をみせるお堂です。

往生極楽院

当三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂。平安時代に恵心僧都(源信)が父母のために、姉安養尼とともに建立したものと伝えられるこの堂内には、阿弥陀三尊が今も変わることなく永遠の大慈大悲の御心を私たちに与えて下さっています。
千年の昔より、弥陀の浄土に往生安楽を願い、ひたすら念仏を称え三昧にひたる常行三昧(阿弥陀様の周囲を念仏を唱えながら修行する)が行われてきた御堂内部には、有名な船底天井及び壁画は、金胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩(楽器を奏でる菩薩像)・宝相華(極楽の花園の図)などの極彩色の絵で包まれ、あたかも極楽浄土をそのまま表しています。
今日ではむしろ、その歴史の星霜を経た簡素な佇まいが有清園の自然美と調和し、かつての華やかさに時の流れの重みを加えて私達の心に浸透してまいります。
寛和2年(986)の建立、単層入母屋造柿葺の御堂。阿弥陀如来座像を中心に、向かって右に観世音菩薩・左に大勢至菩薩。いずれも立像ではなく、お坐りになっている像です。それは即ち、彼岸の極楽へ引導せんと来迎する阿弥陀如来と、それに随喜して往生者を迎えて(信者を蓮華座に乗せて)今まさに彼岸の彼方へ帰らんとする御姿なのであります。お坐りになっているその姿は、立ち上がろうとする瞬間の姿に見えましょう。
暗き世に生くる道亡き人に み救いの手を君は給える

朱雀門

往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門にあたります。
藤原期の様式とも言われていますが、江戸時代に再建されたものです。

聚碧園

客殿を介して初めに広がる庭園。
声明の音がしみ渡ったであろう自然の美に、江戸時代の茶人金森宗和(かねもりそうわ・1656没)が感動し、自らの手を加え、今日の清楚にして優美な庭が生まれました。庭内の、永遠に満るがごとく清らかなる水を湛えた池の源は、音無しの滝より井でし清流、声明の音階より名を得た律川であります。
往生極楽院の、杉木立ちの間に見透かすように在るさまが、尚いっそう庭の立体感を深めて伝わる自然の絵巻物といえましょう。

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